モーリス・ユトリロ
くもったパリの雰囲気を表す画家
Maurice Utrillo, 1883- 1955
生活環境に恵まれなかったが、飲酒治療の一環として行っていた描画が評価された。
シュザンヌ・ヴァラドンの私生児として生まれ、モーリスと名付けられた。彼が生まれた時、母親は針子やモデルをしながら絵も描き、息子の世話はワイン好きの母親マドレーヌに任せた。
モーリスは身体が弱く情緒不安定で2歳の頃てんかんの発作をおこし、後遺症も残った。
母ヴァラドンは18の時にルノワールに出会い、お気に入りモデルとして『都会のダンス』『バージブルのダンス』『The Large Bathers』に描かれている。ユトリロはヴァラドンとルノワールの間の子とも云われている。
ユトリロが7歳の時、よりを戻したスペイン人の画家・美術評論家ミゲル・ウトリリョに認知させ、「モーリス・ユトリロ」と改姓。
白の時代」といわれる、アルコールに溺れていた初期のものの評価が高い。
友人でアルコールに溺れるアメデオ・モディリアーニと居酒屋で赤ワインをリットル単位で飲んでいたため、ユトリロならぬ「リトリロ」というニックネームがつけられた。 なかまの画家は強い蒸留酒を飲んで、若くして亡くなって行くが、好きなワインだけを飲み続けたユトリロは長生きした。母シュザンヌ・ヴァラドンは、何回か再婚しユトリロの2歳年下の友人ユッテルとも愛人関係を持ちユトリロを悩まさせた上結婚、後に別居している。
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