半導体部品が不足して、自動車が出荷出来ない。Apple製品購入には相当納期がかかるなどの問題が浮上しました。国は将来の経済の安全保障として、世界の半導体の中身の半分を製造するTSMCを呼び込み国内に工場を作らせる要請をしています。
先端技術に、6000億円支援する基金を作る法整備を進めています。 22~28ナノメートル(nm=10億分の1m)の工程の半導体を生産する工場が、果たして先端工場と言えるかは置いておいて、日本の生産活動の中心にある自動車産業で用途の広い半導体製品に適した工場という選択であろう。 2020年の半導体企業のIC売上高において日本が占める割合は6%。1990年代、日本は世界のIC市場の約49%を占めていたのに、どうしたの。東芝が得意だった代表的な半導体メモリDRAM(Dynamic Rnadom Access Memory)ではシェア率80%を超えたこともある日本でした。

凋落への道1.アプリの変化

通信設備、FAX、ガラケーから、テレビ、カセットデッキ迄作りまくった、日本が誇った総合電機メーカーは自社のこれらの製品(アプリケーション)に使うために独自の改良を施した半導体を自社内で製造していました。 
1989年に提唱されたATA規格はいわゆるPC/AT互換機における内蔵ストレージの接続規格の標準として広く利用され、これをとらえたコンパック社が周辺機器の接続仕様も標準化しパソコンが安くなり一般向けに広く、販売されました。
この動きにより、メインコンピューターと専用端末をセットで企業や官庁にセットで納入するビジネスモデルは終り、NEC等国内コンピューターメーカーは淘汰されます。 
同時に、東芝などのメモリーメーカは特需に沸きました。 1987年NTTは携帯電話サービスを開始、電電6社に販売台数を割り当て、各社は専用半導体を開発して一定量の生産を確保し、小さな池の中でお財布携帯などの激しい差別化競争しました。
当初はデジタル技術でも世界で先行していたNTTですが、海外メーカーの開発サイクルとの違いもあり、主流のサ-ビスに乗り遅れます。
同時に、海外メーカーはソフトウエアに構造的な仕組みを採用し、モジュール化を進めたため開発スピードが飛躍的にあがりました。
携帯向け半導体メーカーもソフトウエアの基本部分に対応する半導体を設計すれば複数の企業で採用されるため、大量生産しコストダウン出来ました。 
PCと周辺機器を含めたITへ半導体市場の主力が移り変わる中で、NTTや自社のアプリケーション採用保証があった日本の半導体メーカーはガラパゴス生物となり、世界の影響力を失って行きます。

凋落への道2.生産分業

半導体は直径30センチのシリコン単結晶を薄く切って磨きこれをウエハーと言います。
この上にレジスト塗付、露光・処理・洗浄を30回くらい繰り返して作ります。
露光の際にはマスクをあてて回路を写します。 各々の工程はウエハー24~30枚をセットにしたロット毎行うのが普通です。 
つまり1センチ角の半導体チップは30X30X3,14X30で1ロットあたり8万個くらい一度に作れます。 また、ロットごとに30枚のマスクを変更するのは面倒くさいし、生産効率が悪くなります。 

これを24時間切れ目なく流すと、とてつもない量が出来上がりますので、DRAMのように沢山売れるものでないと生産力を持て余すことになり、自社のアプリケーションでは使いきれません。 
また、世界標準だった東芝もシリコンサイクルという4年ごとの好景気・不景気の波と、競争力のある半導体を作るには毎年に集積率を2倍にする設備投資が必要とする法則に耐えられず、国内各社同様手持ちの設備で作れる半導体を選んで生産しています。 
ちまちま作っていたのでは儲からないので、A半導体の中身を作るメーカー、TSMCや国内の複数企業を集約したルネサス及びプラスチックなどで包む、B後工程とC検査工程の3工程の分業が進みました。
TSMCはAの企業ですが台湾国際空港に近い新竹に政府が主導して造成した工業団地に工場を建てて、急成長しました。
当初はDVDプレヤーやTV部品の設計会社の委託を受け、携帯やPC向け半導体設計会社からも受託を重ね世界一の地位を獲得します。
ここで重要なポイントは半導体設計のソフトウエアを開発したケイデンス社の存在でした。
携帯向けやTV,DVDなどの大規模な市場のある半導体設計だけを行う会社が多数生まれ、世界標準のケイデンスのソフトで半導体を設計、この設計データでAの半導体中身製造会社に生産委託できるようになりました。

凋落への道3.負けに不思議の負けなし

故野村監督は勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなしと言われたそうです。 
日本の電機業界はNTTを中心とする技術開発と戦前から続く財閥グループの仕事を受けることで発展し、グループ内の需要を満たすことで技術を磨きました。
喰うだけの仕事は得られましたし、生産も国内地方、台湾、東南アジア、中国に移管することで、円高も乗り越えました。 
それぞれが国内で、国盗り物語に明け暮れるうちに世界の小さな流れを見落としました。 
フォーマットを活用したものが売れるフォーマット作成者が勝者になるとは限りませんが、フォーマットを活用した者が勝者になり、勝者が利用したものが世界標準フォーマットになる。 
ATAより効率のいい接続技術もあり、ケイデンスより使い勝手のいい社内システムもあったでしょうが 小さな会社が苦し紛れに妥協の産物で提示したものが世界標準になることもあります。
家電で自動車で成功した鼻高々な技術者は、偉くなって取締役に並んでいるので、アメリカの小さな会社の変な革新的な技術を採用するのは、自己否定でもあり難しいでしょう。 
台湾や中国の会社はアメリカのアップルなどが設計した製品を世界に向けて、山のように生産しています。かって日本がそうであったように、無駄や欠点が見えるので大量生産は品質の向上を導きます。世界一作らないと良いものは出来ません、2位じゃダメなんです。