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Amedeo Clemente Modigliani

1884-1920

イタリアの画家、彫刻家。主にパリで制作活動を行った。
芸術家の集うモンパルナスで活躍し、エコール・ド・パリ(パリ派)の画家の一人に数えられる。
パブロ・ピカソ、ギヨーム・アポリネール、アンドレ・ドラン、ディエゴ・リベラらと交流を結ぶ。
1907年末、サロン・ドートンヌに出品するが、同所の回顧展でポール・セザンヌを知り、強い衝撃を受ける。
1914年、パリでも著名な画商であったポール・ギヨームと知り合い、ギヨーム本人や友人のマックス・ジャコブの勧めもあって、1915年頃から絵画に専念し、画業を始める。 当時シャイム・スーティン、藤田嗣治、モーリス・ユトリロとも交友があった。

Paul Guillaume, Novo Pilota, 1915
オランジェリー美術館
Elena Provolozky, 1917
ワシントンフィリプッス美術館
Nude on a Blue Cushion,1917
ワシントンナショナルアートギャラリー
Femme sux yeux bleus, 1918
パリ市立近代美術館
Femme au ruban de velours. 1916
オランジェリー美術館
Le Jeune apprenti, 1918-19
オランジェリー美術館
Madame Am’ed’ee,
ワシントンナショナルアートギャラリー
Chaim Soutine 1917
ワシントン ナショナルアートギャラリー
子供を抱くジプシー女 ,1918
ワシントン ナショナルアートギャラリー
1917年3月、アカデミー・コラロッシでジャンヌ・エビュテルヌと知り合い、同棲を始める。
1918年、転地療養のためニースに滞在する。同年11月29日長女ジャンヌが誕生。
1919年7月にはジャンヌ・エビュテルヌに結婚を誓約している。
しかし、貧困と生来患っていた肺結核に苦しみ、大量の飲酒、薬物依存などの不摂生で荒廃した生活の末、1920年1月24日、結核性髄膜炎により死亡した。35歳没。
ジャンヌもモディリアーニの死の2日後、後を追って自宅から飛び降り自殺した。この時、妊娠9ヶ月だったという。

青い眼の肖像(ジャンヌ・エビュテルヌ) 1917年
フィラデルフィア美術館