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サンドロ・ボッテチェリ

「マニフィカートの聖母」 ウフィツィ 1483-85

マニフィカトはマリアを讃える賛美歌を意味し、二人の羽のない天使が、聖母に天の女王を意味する冠をのせている。冠に無数の星が散りばめられ「明けの明星」を意味し、明けの明星(金星)は、マリア頌歌では天上のマリアを示す。天使たちはインク瓶を持ち、赤ん坊のイエスがマリアにマニフィカトの最後の言葉を書くよう促している。
聖母と赤ん坊のイエスが持つざくろがキリストの受難を意味している。

サンドロ・ボッテチェリ「パラスとケンタウロス」 ウフィツィ 1482-83

パラスの衣装の模様が個人的な紋章の意匠なので、ロレンツォ・デ・メディチ絵の依頼主とされる。
ケンタウロスに象徴される「抑制されない本能や理性のない激情」を、女神の「理」によって抑えていると主張する人もいる。パラス”は”ミネルバ”のギリシャ語読み、”ミネルバ”はローマ神話の最も重要な3人の神々の一人であり、 学問と戦いの他、医師と医療を司る知恵の女神です。注文主であるメディチ家の”メディチ”とは日本語では”薬”のことで”寓意”に満ちた絵です。

サンドロ・ボッテチェリ「ヴィーナスの誕生」 ウフィツィ 1485

ギリシア神話から、女神ヴィーナス(アプロディーテー)が、成熟した大人の女性として、海より誕生し出現した様

サンドロ・ボッテチェリ「サン・バルナバの祭壇画」 ウフィツィ 1487

王座の聖母を中心に聖人たちがとりまくモチーフ、聖母の頭上の「貝殻」が聖母を「新しいヴィーナス」とみなすシンボル。
サンドロ・ボッテチェリ「ザクロの聖母」 ウフィツィ 1487

受難の象徴≪柘榴≫を手にする幼子イエス、我が子が歩む茨の道を憂う聖母マリアの虚ろな表情

サンドロ・ボッテチェリ「受胎告知」 ウフィツィ 1489


サンドロ・ボッテチェリ 「聖母子(バラ園の聖母)」 1469-70

バラは、「奇しきバラの花」という聖母マリアの称号を意味する。

ボッテチェリ「三人の大天使とトビア」1470

トビトは王に暗殺された仲間のユダヤ人たちを墓に葬ったため、財産を全て没収されてしまった。
眠っているトビトの目にすずめが下りてきて、目が見えなくなってしまう、トビトの姪サラは悪魔に取りつかれ、彼女と結婚する男七人は次々と殺された。神はこの不幸な家族を救うため、大天使ラファエルを送った。
ラファエルはトビトの息子トビアを連れ立ちラグエルの元へと旅に出る。旅の途中、チグリス川で、巨大な魚に襲われるが、大天使ラファエルがトビアに、その魚を捕まえて、内臓の胆嚢、心臓、肝臓を取るよう命じた。
ラグエルのところに着いたとき、大天使ラファエルはトビアに悪魔につかれたサラを嫁にするよう言い、結婚式に巨大な魚から取った肝臓を焼いた。その匂いで悪魔はサラから出て行った。
彼らはトビトの待つ家に帰り、巨大魚の胆嚢で、父トビトの目を治した。
サンドロ・ボッテチェリ 「春(プリマベーラ)」 1469-70

中央に、位置を高くに愛の女神ヴィーナス(アプロディテ)がいる。
右端に西風のゼフュロスがいて頬をふくらませ、青い顔をして、西風を吹かせ、春を運んでいる。ゼフュロスが抱きつこうとしているのはニンフ(妖精)のクロリスで、ゼフュロスは恋してしまい結婚する。
クロリスの口元から、花があふれているが、クロリスにゼフュロスの手が触れることで、フローラという花の女神に変身する。クロリスの左隣には、変身した女神フローラが、今にも足を踏み出すところ。
左の三人の女性は「三美神」でM左の女神は「愛欲」、中央は「純潔」、右が「愛」の女神である。左の「愛欲」と中央の「純潔」は、互いに見つめあい、対立し。右の「愛」が二人の仲を取り持ち、「愛欲」と「純潔」の反する性質を、「愛」でまとめている。
目隠しをしたキューピッド(エロス)が狙いを定めるのは「純潔」。目隠しは愛の不確かさや、負の部分を暗示している。
左端には神の使いマーキュリー(ヘルメス)がいて、人間と神の間に道を作り人間界にも春の訪れを告げる。理性の神でもあるヘルメスは、頭上の霧を杖で払っているが、霊魂を曇らせる情念の闇を取り払うとも考えられる。

サンドロ・ボッテチェリ 「ホロフィネスの遺体の発見」「ユディットのベツリアへの帰還」1470-72

絵の意味  遺体が発見された時、既にユディトは逃げ延びていました。
ボッテチェリ「東方三博士の礼拝」1475

ボッテチェリ「サン・マルコの祭壇画(聖母の戴冠)」1488-90

後年は宗教的な影響もあり、作風が一変し人気も急落、画業を止めるに至り孤独の内に亡くなる。

アントニオ・デル・ポライウォーロ 「婦人の肖像」 1475

ドメニコ・ギルランダイオ「東方三博士の礼拝」1487

ピエトロ・ペルジーノ「ピエタ」1483-93?

「ペルジーノ」は「ペルージャ人」の意、フィレンツェのヴェロッキオの工房で油彩を習得。ボッティチェリ、ギルランダイオらとともに、バチカン、システィーナ礼拝堂の壁画装飾を担当した。ペルジーノは、この壁画制作にあたり棟梁的な役目を果たしたとみなされており、若きラファエロの師でもあった。

ゲラルド・ディ・ジョヴァンニ「玉座の聖母子と諸聖人」1470-75
聖母子と聖フランチェスコ、枢機卿、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖女マリア・マッダレーナ(ゲラルド・ディ・ジョヴァンニ)

ピエロ・ディ・コジモ 「キリスト受肉と聖人たち」1500年代


受肉とは神が人の形をとって現れること。キリスト教では、神の子キリストがイエスという人間性をとって、この地上に生まれたこと。

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ピエロ・ディ・コジモ 「アンドロメダを救うペルセウス」1510-15 絵巻物


1.背景:エチオピア王ケフェウスの妻カシオペアは娘アンドロメダは海の精ネレイスの娘達より美しいとうぬぼれた。
2.中央その1:侮辱された海の精たちの復讐のため、海神ポセイドンは洪水を起こし怪物を送り込んだ。
  鼻から、水鉄砲を発射し大暴れ、、、
3.左上:紙の怒りを鎮めるには、娘アンドロメダを怪物に捧げよとの神託が下され、母娘は泣き崩れる。
4.左中:アンドロメダは木に縛り付けられる。
5.左下:許婚は赤い羽根を付けて、助けることを考え、両親は悲嘆にくれる。
6.右上:ちょうどその時、ゼウスとダナエの息子であるペルセウスが、メデューサの首を獲った後に天馬ペガソスに乗り通りかかった。この光景を前にジャンプ一番助けに跳んだ。
7.中央その2:ペルセウスはまさに剣による一撃を与えようとしている。
8.右下:アンドロメダは両親の元に。楽師も出て皆で賑やかに祝います、良かったねー! そだねー!


ロレンツォ・ディ・クレディ 「受胎告知」1480-1485

ルーカ・シニョレッリ「聖母と2聖人のいる3位一体」1500-10

・神の実体は一つ
・神の位格は三つ、父なる神、子なる神(イエス・キリスト)、聖霊
フランチェスコ・ディ・クリストファーノ「聖母子と幼い洗礼者ヨハネ」

聖母子と少年ヨハネはルネサンス以降、西方教会で描かれるようになった主題。「神の子羊」と組み合わされることも多い。
ヨハネとともに描かれることの多い象徴(アトリビュート)には「らくだの毛の皮衣」(ヨハネの衣装として)、「悔い改め」を象徴する「斧を添えた切り株」、「見よ、神の子羊」(Ecce, Agnus Dei)の文字、多く十字架に結んだリボンの上に描かれる「杖状の細長い十字架」(しばしば葦)がある。
ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ「聖家族」1507

幼少年時代のイエス・キリスト、養父ヨセフ、聖母マリア
ルーカス・クラナハ「ルター夫妻の肖像」 1529

1517年10月、ドイツの神学者・マルティン・ルターは煉獄の霊魂の罪が贖われる免罪符を販売するローマ教皇を批判するラテン語の『95ヶ条の論題』を発表。クラーナハは独自に視覚化した絵画や新約聖書の挿し絵の木版画で、多くの人々にルターの思想を伝え宗教改革活動で大きな役割を果たし、二人は極めて親しい間柄になります。
妻のカタリナ・フォン・ボラも描かれてますが、カトリック教会では一部の例外を除き神父の妻帯は認められず、独身制を否定したルターはカトリック教会から非難されながらも彼女と結婚します。

ルーカス・クラナハ「イヴ」(アダムとイヴのアダム抜き)

ジョヴァンニ・ディ・ロレンツォ・ラルチャーニ、またはロッソ・フィオレンティーノ「若い女の肖像」 1510

ちょっと下手な感じがしますが、、、
ロッソ・フィオレンティーノ「玉座の聖母子と4人の聖人(オニサンティ祭壇画)」1518

テッツアーノ「ウルビーノのヴィーナス」
「フローラ」1515年頃