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ブロンズィーノ「ルクレツィア・パンチャティキの肖像」1540‐41


この絵を見るのは楽しみでしたが期待以上でした。ルクレツィアは貴族出身でトスカーナ公妃エレオーナの家臣バルトロメロの妻、左ひじの肘掛には不気味な浮き彫り。

ブロンズィーノ「ビア・デ・メディチの肖像」1542

ブロンズィーノ「若い男の肖像」1532

コジモ1世が正妻エレオノーラと結婚する前に、別の女性との間に生まれた子、この絵が描かれた直後5歳で亡くなります。
ブロンズィーノ「マリア・デ・メディチの肖像」1551

17歳で病没してしまうマリーア、10歳前後の姿と伝えられています。
ブロンズィーノ「小さな本を手にする少女の肖像」(1542‐45)

ブロンズィーノ「エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニの肖像」1545

Portrait-dEleonore-deTolede-Huile-sur-bois-vers-1543
フランスJACQYEMART-ANDRE

ナポリ総督の娘で、名家メディチ家のコジモ一世の妻≪エレオノーラ・ディ・トレド≫と息子ジョヴァンニを描いた。
ラファエロ・サンツィオ(ラファエロ・サンティ)「ひわの聖母」

左側がヨハネ手にひわ、右側のキリストが頭をなでなでします。キリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘へと行く途中、「ひわ」がキリストの頭上に舞い降り、額から棘を抜こうとした。その時、キリストの血を一滴浴び、その瞬間から赤い斑点を身にまとい五色ひわになりました。

ラファエロ・サンツィオ「自画像」1506

21歳でフィレンツェに来たとき、ミケランジェロは29歳、ダ・ヴィンチは52歳。師ピエトロ・ペルジーノの才能を吸収。フィレンツェに来てからも、ミケランジェロとダ・ヴィンチから、学び成長しますが37歳熱病で没す

パルミジャニーノ「長い首の聖母」1534-50
マニエリスムの特徴である、引き伸ばされた官能美に溢れた人物やその人体構造。非現実的かつ幻視的な特異の様式などパルミジャニーノ独自な画風を形成、
37歳と若くしてこの世を去るが、晩年錬金術に傾倒し、精神が危機的状況にあったとも伝えられる。


レオナルド・ダ・ヴィンチ

「受胎告知」1472-75
特別室にあり、額の外側から絵の中心に向かう線がみえるようになっていて照明も工夫されています。

ヴェロッキオとレオナルド・ダ・ヴィンチの合作とされる「キリストの洗礼」1472-75

レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた左端の天使を見て、師であるヴェロッキオは筆を折り、その後2度と絵を描くことはなかったとも伝えられるが、単に工房が受注した絵画の制作のほとんどを弟子達に任せ、自身は専門の彫刻に専念した。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「東方三博士の礼拝」1481-82

大掛かりな修復の状況もビデオ展示しています。

アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を取るユディット」1620


ユダヤを征服しようとするアッシリア軍司令官ホロフェルネスの首を取る道案内人を装った寡婦ユディット

カラバッチョ「バッカス」1620



バルトロメオ・マンフレディ「ローマの慈愛」