オースチンテキサス バートンクリーク

オースチンはテキサス州の州都、ジョンソン大統領記念館やテキサス州立大があります。
市内を横切るコロラド川が静かに流れるきれいな街です。
街を出てコロラド川にそってアップダウンのある道沿いには綺麗な家が建ち並び、それぞれの庭にはクリークに浮かべるクルーザーと牽引機付きの大型ピックアップがとめられています。
家主は仕事に行っているのだろから、とまっている車はレジャー専用か奥さん用かな、もうリタイヤした夫婦が住んでいる家かなと勝手に考えながら、大型バスの窓から見とれていました。
バスは研修を主催した半導体メーカーが空港に迎えに送ってくれたものでした。
空港ではテンガロンハットにアフリカ探検のような?制服(写真)を着込んだ社員が全米と僕ら日本から来た半導体販売商社の15名を迎え、バスに案内してくれました。
バスが到着したのは、市内からコロラド川に支流に沿って大分山側に上ったバートンクリークホテル&リゾートでした。
ここで2泊3日の製品研修をうけます。
そんなリゾートで研修?出張なの? アメリカ人の好きな研修出張です。

当時黄金の国ジパングは意気盛んで、Japan As No1なんて言われた時代だったこと、そのメーカーが大きな利益を出していたこと、作っている半導体部品が様々な製品に使われはじめ、多くのメーカーが同じような機能の製品を作ってシェアーを競っても、各社利益をだせる時代だったんです。
半導体では最強米国に日本メーカーが猛烈な追い込みをかけていた時代でした。
研修は取引先半導体メーカーが主催し、全米の商社のプロダクト・マネージャーを招待して、研修会を開いたものに、日本から我々代理店5社の営業が15名くらいが便乗したと言うことです。
補足 プロダクトマネージャーという業種は日本の半導体商社には根付きませんでしたが、米国の部品商社では割合一般的な職種のようです。
米国の商社機能は日本とはちょっと様子が違い、特定メーカーの製品を販売活動するのではなく競合するメーカーの製品も販売します。パナソニックの看板を掲げる電気屋さんではなく、大型電気店のようなイメージです。
商社ではお客から、ある機能・規格の部品を求められると、取り扱いメーカーの中で一番儲けの大きい商品を選択して紹介することが出来ます。お客様の要望する機能・規格の製品が複数のメーカーに有る場合、どこそこのメーカー製品が最も有利だから売りなさいと指示するのがプロダクト・マネージャー(PM)という人たちのお仕事です。
そこでメーカー側は商社のなかで自分の会社の製品が指名売りされるように、売るなと言われないように、PM(プロダクト・マネージャー)を説得したい、自社に抱き込みたいと考えるわけです。
商社にとってはマージン率が高いのが一番良いわけですが、メーカーにとっては、利益を削り続ける事は出来ませんし、他のメーカーと泥沼の競争になるのは困る。 ならば、PMを攻略しよう、営業マンに比べ10~100分の1の人数で選択権のあるPMを説得しよう、例えばこのような研修旅行への招待も含まれます。
自社の製品をその商社で一番扱ってくれるよう刷りこむ研修と、キャンペーン期間中売上を伸ばしたPMと営業マンをバハマにご招待等の様々なインセンティブ・プランを知らせ、商社内でこのメーカー製品に注力してもらいたい。
開催地の空港に着いてからは降は全て無料でメーカー持ちで、参加者は良い時間を過ごせれば、次の機会にも招待されて参加したいと、日々頑張る次第です。
息抜き 研修には勉強会だけではなく、中日には様々なイベントも盛り込まれています。私はその中で、親睦ゴルフコンペに参加しました。会場のリゾートホテルのゴルフコースを借りきり50組くらいが4ホールから一斉にスタートしました。
協議方法はショットガン・スクランブルとかで各チーム4人がそれぞれショットして、その中で一番良いボールの位置から、また4人がショットする。これを繰り返すので、優勝、上位チームのスコアは相当なアンダーのすごいことになります。
各チームは招待側の現地メーカー地元の人2名加わり、私はメーカーの日本法人からの日本人参加者のチーム編成であった。 ゴルフの腕前は今も大した事は無いですが、当時はとてもひどいものだったので、私のボールが採用されたのは18ホールでたった1度だけだった。
もちろん我がチームの成績は下の方でした。 フェアウェイは広く、米国には珍しくアップダウンがあり、柳のような枝を持つ大木のある落ち着いた感じの良いコースでした。我々のコンペ以外の方もプレーしていたが、老夫婦二人がバックを担いで、ゆっくり歩きながらのプレーしている姿は絵のようで印象的で、いずれ自分も奥さんと周れたらなーと考えたものだった。
主催者の手配で、金髪のかわいいお嬢さんが小さなトラックの荷台に氷を山盛りに積み、その氷に缶入り瓶入りビールやジュース、果物やらを刺して、とびきりの笑顔でハーィとか言いながら、各チームのゴルフカートに車を寄せて来るので、ついついビールに手が伸びてしまうのも、ひどいスコアになった一因です。
ちょっと届かない惜しいパットがあって、一緒に回った米国人メンバーからナイストライ、グーッドとか言われたので、サンキュー、バット、ネバー、アップ、ネバー、インと答えた。
テレビで尾崎将司が言ってたのを思い出して使ったのだが、日本でもそう言うのかとちょっとびっくりされ、すこし得意になったが、そもそもが届かないパットでは自慢になりませんが。
プレーが終わると、米国人は皆自分でバックを積みこんで移動してしまう。もちろんシャワールームはありますが、でっかいのと着替えたり、歩き回ったりはちょっと辛いものがあります。 今回はホテルの部屋に戻ってシャワーを浴びることになりました。 ちょっとOB 研修参加者の中にはゴルフがあまり好きでない人も、そのためメーカーはゴルフ以外のレクレーション(荒れ地でバギーの運転、アルマジロ追いかけなどのゲーム大会)も用意しています。
それぞれも楽しい趣向をこらしたイベントでした。夜はそれぞれのを楽しんだメンバーも一同に集まる大食事会となりました。日本人グループは、一旦部屋に戻ってシャワーを浴びて少し遅れて食事のホールに入ったため、10人くらい座れる丸テーブルが数十台並べられた席はほぼ満席でしたので、日本人のグループは解体されそれぞれが別のテーブルにつくことになりました。 言葉に詰まりながら、デザートまでのゆっくりした食事を楽しみました?。
ボーイさんにデザートのケーキにアイスクリームを乗せるかに言われれば?周りの席のまねをしてついYesとか言ってました。アイスだけでも日本のカップアイス2個分はたっぷりあります、この夕食を1年続けたら、ここの人たちのようなすごい腰・尻、腹周りなってしまうのは確実です。

食事が終わると、皆が手際よくテーブルと椅子を壁際に寄せて、ダンスを始めました、日本のダンパ(古い!)とも違いディスコ(古い!)とも違い古い米国映画のグラフィティものとも踊りも含め、ちょっと違う雰囲気でした。
とにかくすごいエネルギーを感じさせられ、圧倒されてしまい踊りには加わることは出来ませんでした。日本人グループはおとなしく、部屋に戻り、冷蔵庫のお酒を持ち寄り地味目な宴会にほっとしました。
オースチンの空港で働く人には黒人が多く、グループで行動している日本人には良い感じを持ってはいないようで、イエロー・モンキーとか聞こえてしまうこともありました。
郊外の住宅地はバートンクリークのように高級なところや、アップダウンのあるオークの木の多い、古い建物、割りと粗末な家並みが続くところ等様々です。
車窓から、オークの木立の間に見える古い平屋建ての朽ち落ちそうなテラスに白髪の黒人の老人がゆり椅子をギーコ、ギーコと鳴らしながら黄色い落ち葉を舞い上げる車の往来を見ている映画のようなシーン。10年前までは空港でポーターでもやっていたのだろうか、夕日の中の落ち葉が舞うのを見ている老人が思い浮かびます。