アビニオン
の橋と古い町並みを見たくて訪れました。田舎町も廻って見たかったですが体調が悪く早めにパリに戻りました。
ニースからアビニヨンに向かう。TGVに乗るのは順調でした。車内に台湾か香港の若い5人の旅行者、スマホの音騒がしい。冷房がきついのと若いやつの一人が咳をしていたので、風邪を引いたらしい。

多分これがセザンヌが好んで描いた山ではないだろうか?

アビニヨン駅に到着


ホテルは分かりやすいところに有って、チェックイン。 小さいカメラだけ持って、市内探索。スーパーでサンドイッチと飲み物を買って外で食べる。 東欧の旅行者と撮影交換。

アヴィニョン捕囚時代
ローマの荒廃、フランスの強国化により、1303年にフランス王フィリップ4世と教皇ボニファティウス8世の対立からアナーニ事件(フランス軍がアナーニの別荘にいた教皇を襲撃した事件)が起こった。
教皇はこの直後に病死。これ以降、教皇はフランス王の言いなりになり。カトリック教会はここに1309年から1377年の間、アヴィニョンに教皇庁を置いた。

1377年に教皇庁は再びローマに戻ったが、続く教会大分裂期には対立教皇であるクレメンス7世とベネディクトゥス13世が、この教皇宮殿を1408年まで座所とした(ただし、ベネディクトゥス13世は1398年からおよそ10年間、宮殿内に幽閉状態だった)。
その後、少しの間、宮殿は対立教皇の手にあったが、1433年にローマ教皇庁の財産となった。

フランス革命が起こった1789年には、この宮殿は既に酷い状態になっており、革命派の破壊や略奪が拍車をかけた。



旧市街を歩く。

アビニヨンの橋、誰も踊っていない。




狭い路地

お店のディスプレー

立派なドア

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この後道がわからなくなり、私は何処にいるのか聞きました。

路上ライブのOldaysをカフェに入りビールを飲みながら聴く

パンを買って、お昼と同じスーパーでハムとチーズとジャックダニエルの小瓶を買って夕飯とする。ジャックダニエルをグラス1杯残して飲みあげて、速攻で風呂に入り6時に寝る。
朝起きて朝食をとる6ユーロらしい今回の旅行では残念な部類、今一の朝飯セットでした。コーヒーを貰い頂く。

体調いまいちで、予定を変更して早めにパリに向かうことにしました。

ホテルの受付のお兄さんにワイン屋を教えてもらう。少し早いので、まだ開店前でちょっと歩いていると靴屋が有ったのでスペイン製の靴を一足買ってしまった。

酒屋も開いたので、地元の赤ワインを選んでもらう。 開けてから15分待てと言われました。大きなグラスが無いのが残念。

駅で新たに切符を買いなおす。十二ユーロ払っても変更できないとのこと仕方ない。

ギネスを1杯飲んで気を落ち着ける。


時間も昼になったので、サンドイッチとヨーグルトを買ってお昼とする。

このパリ行きのTGVはAvignonTGVには寄らないようだ、づんづん走っている。